引き続き

日本語なのか英語なのかという話です。日本人の友人と話すときに、英語を使う場合と日本語を使う場合がある。そこにいるのが最初から最後まで日本人だけならもちろん日本語なんだけど、日本人以外の人が混ざっていると当然英語になり、途中でその人がいなくなってもなんとなく英語をしゃべり続けたりする。人によって絶対に英語で話したいという人と日本人同士なんだから日本語しゃべってよ、という人といて私はどちらの意見にも合わすタイプです。そしてこんな風にチャンポンでしゃべっていると、最近かなりの頻度で日本語の単語も出てこなくなっている自分に気付く。こんなつたない英語で全然会話が成り立つってことはたいした話してないんだろうなと思うんだけど、日本語で話したからって会話の内容がより深くなるわけでもない。日本語で話すとやっぱりスラングというか、特定のニュアンスをもつ単語を敢えて使ったりするので、なんていうかなあ、会話の意味そのものよりもそういうところで何かを伝えようとしているんだなあ、ととても実感しています。その仲間内だけでその時期フレッシュな単語があったり、その感情を表すときにどの単語を選ぶかとか、日本語を話すときはそいういうことに無意識ながらかなり神経を使っている、ということに改めて気付かされます。まあもちろん英語だってもっとしゃべるようになればそういうことに気を配るようになるんだろうな、今のところ全然それどころじゃないけど。むしろ英語の方がそいういうのは露骨なのかもしれない。ロンドンだけでも階級*1によって言葉が全然違う。ベッカムがしゃべる英語はとても下町(よく言えば)英語だし、話す言葉でどこの出かわかってしまう。あれでも、そうなると日本人が仲間意識で使う共通言語とはちょっと規模が違う話になってくるなあ。
ところで最近私の日本語わかりにくいですか?自分で書いておきながら意味が伝わっているか自信がもてない。

*1:階級すごい露骨にあります、こっちは。驚く。