文脈なし

日常風景の中に過去の記憶やこれまでの伏線が一切ない場所で暮らすというのは、ほんと文脈のない生活って感じで。それでも今やだいぶ日常化しているのでここが海外であるという感覚もなくなってきて、天気いいなあとか、学校行くのめんどくさいとか普通に思うんだけど、それがどこにも不時着しない感じ。
5月の夕立。という文章があったとして、そこから感じることをなんとなく共有する適当なゆるいコミュニケーション?がわりとこっちではナシというか。じゃあ新しいこの文化にそった文脈をこれから蓄積していくのかというと、そうでもなくて、色々ミックスしていくというのがおもしろいみたい、と最近のやり方。
伏線のない風景というのは潔い感じがしていいんだけど、とっかかりもなくてイメージはドロドロした生活感みたいなのゼロ。 
しかし私の言ってることは我ながらよくわからないですね。もういい加減寝ます。