アマデウス

今年がモーツァルト生誕250周年だからという訳ではなく、モーツァルトの音楽は胎教にいいと言われているからでもなく、映画「アマデウス」を観た。観た理由は、こういう文章を読んで興味を引かれたからです。

 『アマデウス』におけるモーツァルトサリエリの関係は、創造者と批評家のそれとも読める。しばしば、批評家は何が良いかはわかるが、自分ではものを創り出せない。一方、創造者は作品の評価など気にせずに、ただ好きなものを創る。『アマデウス』のストーリーはそのような創造者と批評家の関係性のイメージに沿っている。
 とりわけ、日本では、ものを作っている人が「何が美しいかなんて、関係ない、ただ面白いものを作っているだけですよ」などと言う傾向が強い。一見かっこいいようだが、真実はどこにあるのだろう。創造に、批評の精神は必要とされないのだろうか。
2006.1.22号ヨミウリウィークリー/茂木健一郎


映画「アマデウス」に出てくるモーツァルトのキャラは「ピンポン」のペコとちょっとかぶる。
サリエリはスマイルにもドラゴンにもアクマにも見えた。
アーティストに批評家の精神か。
それより私はモーツァルトサリエリの関係はある意味理想なんじゃないかと思ってしまった。ものすごいしんどそうだけど。
でも作るってどちらかというとこういう事だと思う。人生振り乱してる感じが。なめちゃいけないよな〜と思った。